第10回九州建築塾報告
2005/11/18

第10回九州建築塾顛末記

実行委

九州建築塾は、宮崎では始めての開催であった。心配したとおり塾生の応募が少なく、中止も想定しようかと考えていたが、何とか10名の塾生を確保できたことが結果的に成功につながった。

大会と塾を綾町で開催すると決定したときから、塾の会場選定には苦慮した。ようやく探し当てた会場は、今までの塾とは全く異なり、遠巻きに山野と林を臨む畑の中の一軒家という環境で、木造の馬屋を改造した『賢治の学校』(宮沢賢治の農業思想(自然農法)を実践する施設)という民間の施設である。

 おそらく参加した塾生はアッと驚いたに違いない。いや、地元スタッフ以外は講師陣も驚いたことと思う。いざ蓋を開けてみると、参加者や見学した皆さんから、すばらしい場所だとお褒めを戴いた。

残念なことは、朝晩の涼しさが一段と増してきて、夜間の心配をするつもりであったが、当日は夏日に逆戻りとおまけに時々雨模様という天候で、大変蒸し暑い一日になったことである。当然、『賢治の学校』には冷暖房設備はない。

そんな会場で、10月1日午後より塾は始まった。第1日目の講師はランドスケープアーキテクトの三谷徹先生。課題は「自分ひとりの散歩道」。現地調査から始まったこの講義には、おそらく塾生の誰も経験したことのない分野で、ずいぶん手こずっている様子だった。初日だからか慣れないためか、作業は捗らず、課題の要求内容も簡略化し悪戦苦闘の結果ようやく夜のプレゼンテーションに漕ぎ着けた。全員初顔合わせという固さと、不慣れなテーマで萎縮していたのか、図面も言葉も力強さに欠けていた。

 初日の夕食は、会場隣接の空き地の駐車場(草むら)で、全員の顔合わせを兼ねて少雨の仲のバーベキュー。虫の音は聞こえたが、晴れた星空の下であれば気分爽快だったかも知れない。

 今回の塾の特徴は、会場が特異なことに加えて塾生全員による朝食作り、地元スタッフの夕食作りなど、全員参加型の合宿生活体験でもある。これにより一気に塾生が打ち解けた。ちなみに、本施設は夜12時消灯、敷地内は禁煙、飲酒禁止など厳しい規則がある精神修養の場でもある。

2日目の講師は、武田光史先生+金箱温春先生(構造)。課題は、綾のまち並みに敷地を設定し、「『小さいけれど』大きな町屋」。今日も現地調査から作業にかかるスタイル。武田先生の『計画するときは枝葉末節よりも樹の全体を見よ』との指導に塾生も必死。昨日の課題と違って、日常の作業に近づいた感ありだが、まだまだ暗中模索状態が続く。プレゼンテーションでは、もがき苦しんだ結果も、上手く説明できない。スタッフ一同心の中で「ガンバレ塾生」と祈ったが、まだ力強さが出ないのでやきもきする。塾生の思い思いの大きな空間に、武田・金箱両先生も暖かい寛大なアドバイスを与えてなんとか終了。

Aユニットの2日目は、遠方の塾生の帰宅時間を考慮し、夕刻には片付けて解散したが、Bユニット(8〜10日)にも塾生は帰ってくるかなと少々不安があった。

Bユニット初日の10月8日、昼過ぎには次々と塾生が到着。全員が揃って一安心した。

前回での反省から、力強いスケッチとプレゼンテーションを期待して、スタッフより塾生に4Bの鉛筆をプレゼントし、シャープペンシルは禁止。

第3日目は、JIA熊本会の古川保先生による「木のデザイン」。温湿度計や磁石など持参との指示で、塾生も面食らったかもしれない。最初は木材の性質や木を取り巻く環境について約3時間みっちりと講義され、塾生も目が点になったことだろう。課題は民家の設計。前回の武田先生とは異なり、グリッドに載せた日本の民家の再生手法を学ぶ。

簡単そうで難しい課題に、またしてもプレゼンテーションに辿り着かない。穏やかな古川先生は、塾生一人ひとりに根気よく付き合い、夜は更けて詩また。

第4日目(9日)は、九州支部大会と並行するスケジュールなので、8時〜10時迄で古川先生の講義は終了。慌しく最終講義の国広ジョージ先生にバトンタッチした。国広先生のテーマは「千年持続学AYA町研究はうす」。塾生は思いおもいの千年を設定してスケッチを重ねた。初日よりは明らかに線が強くなった。塾生は課題説明を受けた後、支部大会に参加し塾の感想を発表した。レセプション終了後、塾生は塾会場に戻り残りの作業をしたが、肝心の国広先生が焼酎に浸りすぎて講義にならず本日は終了。

最終日は支部大会の翌日でもあり、担当講師の国広先生は勿論、穂積先生、高崎正治氏ほか塾見学に訪れた多くの会員が、塾生一人ひとりに直接指導する光景は、どの大学のゼミにもない恵まれた状態であったことに塾生はまだ気が付いていない。いつの日にか、この日の経験を思い出して歓喜し噛み締めるときが訪れて欲しいものだ。

最終のプレゼンテーションは塾生の大半が、屋外の自ら設定した現地で行った。夫々が自分の計画を自信を持って発表し、国広先生と穂積先生の講評を聞いた。とても初日には考えられないほどの成長である。

建築塾の閉講式は、賢治の学校の前で国広・古川両先生、最後まで熱心に指導していただいた穂積先生、田島支部長など多くの諸先輩全員から塾生にメッセージを送り終了した。講師陣や見学者を送り出し、後片付けをして日が沈む頃に塾生全員を見送って解散した。

今回の建築塾は、会場の設定から塾形式まで型破りで且つ塾生が10名という少人数であったが、塾開催に色々なヒントを与えてくれたと思う。今後の塾継続の何かの参考になれば幸いです。

最後に、地域会実行委員一同、非常に有意義な体験をすることが出来たことに感謝していることを付け加えさせていただきます。

 
 
 
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